天和3年の酒田の人口は12604人 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 21, 2025 高橋義夫著『足軽目付犯科帳』中公新書、2005年によると、天和3年(1683)の①戸数ーー2251軒②人口ーー12604人であったという(5-6頁)。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
紅花研究資料「稲村家文書」 11月 23, 2024 古文書分野 1)山辺町大蕨 稲村家文書 慶長期~明治期 総点数 1,100点 上方との商取引に関する万福帳や紅花仕切書など 村山地方では、江戸時代後期になると都市周辺だけでなく農村部にも紅花商人が現れるようになった。その一人が稲村七郎左衛門である。稲村家は山形に土着した近江商人達と提携し、資本金を出して紅花の運搬などを委託して利を得ていただけでなく、自らも生花を買い集め干し花加工も行っていた。 稲村家文書には上方との商取引に関する万福帳などが多く含まれており、村山地方における商品作物の流通の様子が読み取れる。 2)河北町誌編纂委員会編 『最上紅花史料』 1-3 河北町誌編纂委員会編『最上紅花史料』1-3 (河北町,1993-1997)より。 全文を PDF 画像により読むことができます。下記リンクからご利用下さい。 I 表紙・口絵・目次ほか 一 耕種法 二 流通 1-11 12-17 18-40 41-48 49-53 54-55 56-59 60-63 64-69 70-105 奥付 ( 全体 *19.0 MB ) II 表紙・口絵・目次ほか 堀米四郎兵衛家文書 ( 1-27 28-57 58-93 ) 今田修家文書 ( 1-40 41-109 ) 槙真司家文書 宇野常義家文書 ( 1-9 10-72 ) 逸見彦次家文書 逸見良一家文書 奥付 ( 全体 *16.7 MB ) III 表紙・口絵・目次ほか 日塔久左衛門家文書 ( 1-5 6-8 9-10 ) 茂木平十郎家文書 斎藤理久郎家文書 稲村七郎左衛門家文書 山形県郷土館所蔵文書 大沼養之丞家文書 ( 1-15 16-36 ) 奥付 ( 全体 *13.4 MB )2) ************** 『山辺町史』 頒布中 新しい資料と写真で綴った町史上・下巻を読むことで山辺町の歴史がわかります。 町史上巻の特徴 山辺町の風土をはじ... 続きを読む
改訂版)明治天皇と酒田市在住の豪商・渡部作左衛門 11月 11, 2024 以下は、「「天下一の阿呆もしくは幸せ者」の話である。明治天皇に拝謁し、我が家を行在所として天皇にご利用いただく名誉に浴するためだけに、身上をつぶした男の話である。 参考資料 1, 「山形縣行幸記」(山形縣教育會/大正5年1月発行) 2,鈴木 敦史「明治十四年巡幸における奉迎準備と地域社会の対応 ―山形県を事例として 」『東海大学紀要海洋学部』第19巻、13-22頁、2021 ****************** 明治天皇の六大巡幸: ①明治5年(1872)の九州・西国、 ②同9年の東北・北海道、 ③同11年の北陸・東海道、 ④同13年の甲州・東山道、 ⑤同14年の山形・秋田・北海道、 ⑥同18年の山口・広島・岡山、合計6回 明治天皇(1852~1912)は日本各地の巡幸に多くの時を費やしている。明治14年(1881)、北海道・東北巡幸が行われた。 山形県には明治14年9月22日から10月3日まで滞在し県内各地を回った。巡幸の供奉員は北白川宮能久親王・左大臣有栖川宮熾仁親王、参議大隈重信、参議大木喬任、宮内卿徳大寺実則ら文武官員約320名余である。他に参議・黒田清隆、内務卿・松方正義以下20余名が先発官として先行し、さらに三島県令はじめ県官、巡査、人夫らを加え、総勢1000名以上の一大パレードであった 。 明治天皇は大元帥服の姿で丹塗馬車に南面して乗車し、徳大寺宮内卿が陪乗した。 酒田には9月25日に来臨なさった。行在所は本町の渡部作左衛門の邸宅であった。 本稿の筆者注釈: ① 渡辺作左衛門(天保6一明治16)。米相場で巨万の富を蓄える。 ②本町六丁目にあった廻船問屋尾関又兵衛の家屋敷を買収。また 亀ケ崎城の跡地を買収して牧場を経営。 尾関又兵衛は酒田港を拠点とした坂田一の海商であった。 ③行在所となった翌年の明治15年に、渡辺氏は破産。そして失意の内に、明治16年に死亡、 ①酒田では福島地方裁判所酒田支庁や琢成学校を視察し、行在所を務めた渡辺作左衛門には赤白縮緬、御紋付三ツ組銀盃などが下賜され、 有志者、郡吏、村吏、教員の方々にも下賜金が与えられた。(引用文献 酒田市『酒田市史 改訂版』) ②埼玉県 幸手宿 右馬之 助 町(現 幸手市中1丁目)の中村家に、 御紋付三ツ組銀盃が保管されている。しかし、同品かは不明。 ③明治14... 続きを読む
公立化を目指している東北公益文科大学へのお願い 1月 15, 2025 「2026年4月」の公立化を目指している東北公益文科大学。 山形県と大学、それに庄内地域の2市3町で構成する「公立大学法人設立準備委員会」が発足し、正式に動き出した。 機能強化の一貫で設置が予定されている国際系の新学部については、2025年3月ごろに文部科学省に認可申請する方針があると伝わる。 卑見ながら、何を今さらと言う思い。そして、山形で、しかも酒田・鶴岡における国際化とはなに? 県民にとって、市民にとって、さらには日本にとって、庄内地域における国際系学部新設の理由が見当たらない。基本的方向性を検討した東北公益大学の先生方の人事構成を見て、合点が行った。彼らの教員の都合のみで、改革案を練り上げている。つまり「生首は切れない」から。 これまでの通例であるが、現教員を生かさず殺さず存続させるには、衣替えが1番。私立の衣では学生募集が低調だから、財政的に安定し、学費が安くなり、官尊民卑の思潮の中で県立大学の衣を身に纏う事で、彼ら教員だけの身勝手な都合だけで、公立化を図るとすれば、それは余りにも身勝手、県民を蔑ろにし、侮辱した取り扱い。 誰が学長候補なのかを知りませんが、とにかくガラガラポンにして解体的出直しをして欲しい。 そして、学生が押し寄せる魅力ある学部構想を打ち出して欲しい。今のように、 現在の貧弱なスタッフの顔を見ながら、せめて学部や学科構想はやめて欲しい。そうでなければ、すぐに学生募集に行き詰まり、財政が破綻し、学内の士気は低下し、教員たちは定年退職の日のみを待ち続ける無力な集団を作り上げるだけである。 なお、 「酒田からニュージーランド」などの頓珍漢なスローガンを上げないでほしい。 続きを読む
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