改訂版)明治天皇と酒田市在住の豪商・渡部作左衛門
以下は、「「天下一の阿呆もしくは幸せ者」の話である。明治天皇に拝謁し、我が家を行在所として天皇にご利用いただく名誉に浴するためだけに、身上をつぶした男の話である。
参考資料
1,「山形縣行幸記」(山形縣教育會/大正5年1月発行)
2,鈴木 敦史「明治十四年巡幸における奉迎準備と地域社会の対応 ―山形県を事例として」『東海大学紀要海洋学部』第19巻、13-22頁、2021
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明治天皇の六大巡幸:
①明治5年(1872)の九州・西国、
②同9年の東北・北海道、
③同11年の北陸・東海道、
④同13年の甲州・東山道、
⑤同14年の山形・秋田・北海道、
⑥同18年の山口・広島・岡山、合計6回
明治天皇(1852~1912)は日本各地の巡幸に多くの時を費やしている。明治14年(1881)、北海道・東北巡幸が行われた。
山形県には明治14年9月22日から10月3日まで滞在し県内各地を回った。巡幸の供奉員は北白川宮能久親王・左大臣有栖川宮熾仁親王、参議大隈重信、参議大木喬任、宮内卿徳大寺実則ら文武官員約320名余である。他に参議・黒田清隆、内務卿・松方正義以下20余名が先発官として先行し、さらに三島県令はじめ県官、巡査、人夫らを加え、総勢1000名以上の一大パレードであった。明治天皇は大元帥服の姿で丹塗馬車に南面して乗車し、徳大寺宮内卿が陪乗した。
酒田には9月25日に来臨なさった。行在所は本町の渡部作左衛門の邸宅であった。
本稿の筆者注釈:
① 渡辺作左衛門(天保6一明治16)。米相場で巨万の富を蓄える。
②本町六丁目にあった廻船問屋尾関又兵衛の家屋敷を買収。また亀ケ崎城の跡地を買収して牧場を経営。尾関又兵衛は酒田港を拠点とした坂田一の海商であった。
③行在所となった翌年の明治15年に、渡辺氏は破産。そして失意の内に、明治16年に死亡、
①酒田では福島地方裁判所酒田支庁や琢成学校を視察し、行在所を務めた渡辺作左衛門には赤白縮緬、御紋付三ツ組銀盃などが下賜され、有志者、郡吏、村吏、教員の方々にも下賜金が与えられた。(引用文献 酒田市『酒田市史 改訂版』)
②埼玉県幸手宿右馬之助町(現 幸手市中1丁目)の中村家に、御紋付三ツ組銀盃が保管されている。しかし、同品かは不明。
③明治14年9月22日、最上郡金山町には明治天皇は入り、休憩を中田村・栗田運平家と上台村・近岡孝四郎家で、お昼は岸三郎兵衞でした。
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