江戸時代酒田商人はすごい

 やはり酒田商人のビジネス能力はすごい


最上紅花を例に挙げて、説明しよう。

その決済方式には創意工夫が盛り込まれ、しかも現実的である。

商売人であれば、古今東西、誰しも

①投下資本の安定的回収

②最小の資本で最大利益創出

③台風など自然災害などのリスク回避

④物流コスト(船賃・陸送費など)の最小化

⑤強奪・横領など現金輸送に伴うリスク回避

⑥「行き荷」と「帰り荷」両方の確保による運送業者と荷主の輸送コスト削減、および持続可能な事業経営

⑦利益が常に右肩上がりとなるビジネスモデル作り

⑧紅花の生育不良や紅花相場高下などのリスク回避

⑨北前船が混載を前提とした輸送方式であるために、尾関又兵衛らの廻船問屋、他の異業種とのwinWin関係の構築

⑩他のライバル業者との競争に打ち勝つ情報ネットワーク構築

⑪大坂や京に設置した支店もしくは代理店の活用

⑫北前船の寄港地での売れ筋商品などのマーケット調査、さらにはそこに所在する得意先に対する金融信用調査

⑬人身・物損などさまざまな事故補償

などに気を配ったはずである。

 そこで編み出したのは、下記の商法であった。

1)消費地に設置した支店からの相場情報、売れ筋商品・購買層のニーズ・翌年以降のマーケット予測などのビジネス情報、さらには大坂・京などの販売先の信用度調査

→元文5年(1740)6月の「口上書」に見る通り、最上紅花商人惣代より京都町奉行所および所司代に京在住の紅花問屋を告訴している。その訴状には、京都の紅花問屋が没落したり、

2)消費地からの様々な情報を総合して、稲村家は当年度の自らの生産量および近隣の山形城下の紅花問屋5人衆(長谷川吉郎治、長谷川吉内、佐藤利兵衛、村居清七、福島屋治助)などからの買い入れ量調整の実施

改訂 最上紅花史の研究: 第三章 紅花商人の成立と発展

3)最上川沿いの紅花集積地において、最上川船頭との輸送価格交渉

4)酒田湊の廻船問屋の倉庫への紅花保管と、紅花の北前船への搬入時期調査、1か月もしくは2か月で消費地に到着する時点での販売先確保。

5)酒田湊の廻船問屋尾関又兵衛などとの輸送費交渉

山形市十日町に店舗を構えた村居清七家は、7~8百石積の海船萬福丸を所有していた。

)敦賀港で紅花を搬出したときの、保管場所確保。さらには敦賀から京までの輸送法、ルート、業者、輸送費などの確認。

7)近江商人の支店が山形に設置され、山形の商圏や市況を確認するとともに、最上や荘内地域などにおける安定的な人間ネットワークを構築し・維持し、相互監視。

8)すべては近江商人の才覚で、山形ー京ー大阪3地点におけるビジネスモデルを創出して、「利益の最大化と損失の最小化」を図る営業活動の実施

9)生産地・地場産業と運送業者・金融業者・小売り業者などの業務連携

10)アドバイザーは近江商人。生産者や運送業者、さらには卸売業者・小売業者などが直面するリスクに対して、適切な解決方法やビジネス戦略などを提供。1円でも多い利益収入、1円でも少ない損金発生防止にアドバイスをしながら、各地の商人の健全な組織の成長をサポートし、そして各組織の競争力を高め、経営者の後継体制を作り上げるに、近江商人の役割は大であった。

11)現代風に言えば、総合商社機能を持っていた近江商人であったので、彼らの全面的なサポートを得ながら、酒田商人は利益を上げていた。

12)近江商人式「会計簿記」を酒田や最上・山形に普及し、その会計法を共有した

13)近江商人のモットーである「三方よし」を山形・最上・酒田にも普及した


その儲けがいかばかりであり、その損失がいかばかりであったのかを、もっか今田信一先生が生涯をかけてお集めになった資料集や酒田市史資料編、近江商人解読に努めているので、近々にもご紹介したい。

調べれば調べるほど、その時代の最先端に位置し、鋭敏な頭脳を駆使して、時には運を味方にした酒田商人の才覚に驚嘆する。ただし、かれら酒田商人とても、あまたの失敗、かずかずの裏切りや煮え湯を飲まされた上に成功を得たことに、我々は思い至る必要がある。




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