酒田市 小幡楼を訪問した著名人(一部)

明治 42年 1909 7月 4日 電気事業竣工祝賀会が小幡で挙行され、馬淵県知事、飽海郡長、町長ら出席のもと開始を祝う。芸妓の「電気踊り」が披露されたほか、本町四丁目の電気作業所前には、緑門と電気装飾をして電灯。中町・秋田町にはイルミネーションが点じられた。「ア、ア、明るいね。ツ、ツ、月夜かね」の会話が流行した。
42年 1909 8月 25日 逓信大臣伯爵後藤新平が来酒、紅艶楼に宿す。翌日河口を検分し、酒田・新庄間鉄道敷設の有望なことを示唆する。夜、小幡における官民合同歓迎会に臨み、27日、鶴岡に向け出発する。(上に同じ)
大正 2年 1913 5月 15日 港座で代議士、犬養毅一行の政談演説会が開かれ、1,300人の聴衆が集まる。
2年 1913 10月 15日 料亭の相馬屋が今町角でビリヤード場兼洋食店「カフェー金波」を開業する。
3年 1914 6月 3日 前逓信次官犬塚勝太郎夫妻及び熊谷直太衆議院議員が来酒、小幡にて歓迎会を開く
3年 1914 7月 4日 大浦農商務大臣が来酒、小幡楼にて懇親会を開く
4年 1915 9月 12日 法学博士平田東助が来酒し、船で最上川及び河口を視察し、夜、瞰海楼小幡の官民懇親会に臨んで講演する。旧米沢藩士、本姓伊東、平田の養子となり、号を西涯また九皐山人と稱する。獨・露に留学し、帰朝の後貴族院議員・枢密院顧問官・農商務大臣・内務大臣及び内大臣を歴任し、地方自治体の改善、産業組合の発達に力を注ぐ。工学博士伊東忠太は実弟である。(酒田港誌)
5年 1916 10月 14日 徳川頼倫が来酒する。日本図書館協会総裁、日本弘道会副会長。坪谷善四郎等とともに10月9日、山形市主催第11回全国図書館大会に臨み、また一行とともに来酒して講演する。翌15日小幡に、弘道飽海支会を開いて招待す。時に本間家所蔵の「四方喜賀志満」転封事件の絵画帳を見て歎賞し、借りて東京に帰り幻燈を造り、貴紳名士を華族会館に招いてこれを示し、自ら説明の労を執る。(酒田港誌)
6年 1917 9月 17日 政友会総裁で、衆議院議員の原敬が来酒。「午後3時頃、自動車にて出発、酒田に赴き途中雨にあう。酒田にて、亀崎楼に投宿。夕に最上川の河口を視察せり。内務省より出張の技師も、小蒸気に同乗説明せり。河口は15尺の深さに浚渫する見込という。帰途、公園を見る。晩に、小幡楼にて官民合同の歓迎会あり。この地も曾遊の地なれば、当時の事柄などを始めとして、今後当地は発展の望みあるものなりとの趣旨を演説せり。右終て、党員より宇八楼に招かれて出席す。」(原敬日記)
10年 1921 2月 抒情詩人で画家の竹久夢二が来酒し、今町今咲屋に泊り、頒布会を催す。10月再び来酒し、台町の宇八に翌年まで泊る。その間象潟旅行をする。宇八(現山王くらぶ)の茶室は夢二が愛用したという。昭和5年3度酒田にくる。夢二は酒田を深く愛した。酒田には彼の画が多い。酒田の洋服屋後藤助太郎の紹介で本町の富豪森重治の知遇を受ける。山王森に文学碑がある。
5月 9日 童話作家巌谷小波(季雄)が来酒し、小幡に泊まる。季雄は巌谷一六の子で、小波と号し、絵画を能くする。お伽噺に名あり、度々来酒して各学校及び学事会において講習会を開く、紀行文『荘内の五日』(「俳味紀行:山から海」所収)がある。
 葭切や鳥海晴れてちぎれ雲  小波(酒田港誌)
8月 13日 内務省港湾課長三矢宮松が来酒し、小幡で招待会を開く
大地主森重郎が没する。64歳。竹堂。松山斉藤弥右衛門の三男として生まれ、本町の大地主森藤十郎の養子となる。町会議員。小作人に対する思いやりが深く、人望があった。画をよくする。大正10年放浪の抒情画家竹久夢二を酒田によんで滞在させ、その面倒をみた。大信寺に葬られる。
11年 1922 11月 18日 小幡(瞰海楼)洋館(洋食部)が竣工し、百数十人の市内の名士を招き、精養軒で修業したコックによる本格的な洋食による披露宴を行う。10月20日から開業する。
15年 1926 10月 7日 画家横山大観が来遊する。自動車で市内一巡、小幡の歓迎会に臨み即日帰る。
昭和 3年 1928 6月 9日 鶴岡出身の医師、浦本政三郎(浦本)が荘内医学会出席のため、荘内に来た際に、瞰海楼小幡で開催された衛生会の懇親会に出席したことを「旅心常住」に書き残す。
5年 1930 8月 小幡楼の小万がビクターレコードから「酒田おばこ節」、「酒田甚句」のレコード(レコード番号51330)を出す。12月には「本庄追分」、「臼挽唄」(レコード番号51498)を出す。
21年 1946 4月 小幡ダンスホール跡に酒田ギャラリーを開設する。(上に同じ)

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